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ヤマト運輸の労働時間

「ヤマト運輸はやめとけ」と言い残し59歳でこの世を去ったドライバー

投稿日:2019年10月15日 更新日:

伯父の言葉

これは2010年に腎臓病で亡くなった私の伯父の話しです。

 

原因は過労

 

家族持ちの皆さんは過労が原因で倒れた時、どうすればいいか考えてたことはありますか?

正直、健康に働ける間は過労なんて気にせずに、仕事をせざるを得ませんよね?

ですから体に負担をかけないよう、普段から充分な休息を取りつつ仕事をするのが正解です。

 

しかし仕事がハードすぎるヤマト運輸のような運送系の仕事だと体調管理は大変です。

今回は、過労が原因で1991年から19年間の闘病生活の末、59歳でこの世を去った私の伯父の話をします。

 

人工透析の影響で「どす黒い顔」に変わり果てた伯父に「いいか?〇〇。お前が社会に出て仕事に就く時、ヤマトだけはやめとけ」と言われた私。

 

「なぜ?」と聞き返すと、「ヤマトで働いたらオレのように体を壊して人生終わりだ・・・。だから絶対にヤマトに就職するなよ」と言われました。

 

2014年にヤマト運輸の元ドライバーが『過労死』で取り上げられましたけど、それ以前から長期勤務の話は全国の営業所で出ていました。

ただし、今のようにネットが無い時代で、『もみ消されてた』だけ。

 

まずは亡くなるまでの詳細を紹介します。

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元ドライバーの伯父が亡くなった理由

なぜ亡くなったのか

私の伯父が亡くなった原因はこちら。

当時私は小学校5年生でしたが「伯父さんが倒れた」と聞かされた後のやり取りは未だに記憶に残っています。

過労が原因で「余命は7年」

働きすぎが原因の過労

「もって7年でしょう・・・」

医者にはそう告げられたと伯母は言います。

 

20代後半でヤマトに入社し、働き盛りの30代1991年に過労が原因でヤマト運輸を退職した叔父。

※退職後は自宅療養へ。

 

伯父と伯母には、娘と息子の兄弟(私の従兄弟)がいました。当時、娘は高校受験を控えており学費が掛かる年齢だったので、必死で働いたそうです。

 

当時小学5年生の私には伯父がどんな状態なのかは分からなかったですけど、「伯父さんあと7年しか生きられないかも」と母親に言われた時の事は今でも忘れられません。

 

娘の受験を控えていながら体を酷使した結果、過労で『余命7年を宣告』されドライバーを続けられなくなった叔父。

それから19年も生きられたのは、家族を思う気持ちと気力が一番の要因です。

 

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退職後の生活費は?

生活費の詳細

過労で退職した後の生活費はどうしていたのでしょうか?

体を壊しても、受験を控えた子供のために収入を増やさなければならなかった伯父に与えられた選択肢は、以下の2つのみでした。

退職金はたった10万円

たったの10万円

「退職金は10万円くらいだったかな~?」

ヤマト運輸は基本給を元に退職金が決定されるので、勤続年数は長くてもほとんど貰えません。

 

「そんなに少ないの!?」と私の母親が聞き返してましたけどそんなもんです。

たったの20万円じゃ今後の生活と子供の学費が払えないので生命保険と以下の制度を使うことになりました。

助成制度を活用した

透析の助成制度を使った

国の助成制度を使って治療費を支払った。

 

ちなみに人工透析を一度行うのに掛かる費用は約40万円。

ですが、この費用は医療費の公的補助制度を利用してほぼ0円にできたので、伯父の家族負担は殆どありませんでした。

【全腎協】透析治療にかかる費用

1ヶ月の透析治療の医療費は、患者一人につき外来血液透析では約40万円、腹膜透析(CAPD)では30~50万円程度が必要といわれています。このように透析治療の医療費は高額ですが、患者の経済的な負担が軽減されるように医療費の公的助成制度が確立しています。

 

毎日の生活費と病院費用は生命保険と助成制度の利用で負担を軽減できます。

 

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配達できない社員はどうなる?

配達できなくなったドライバーの対応

「体を壊して配達できなくなったセールスドライバー」に与えられる選択肢を紹介します。

 

ちなみに病気以外に「怪我」をして運転ができなくなった社員も同様。

内勤にまわる

配達できなくなったら内勤へ

多くの社員はヤマト運輸を辞めずに「受付役」にまわります。

これはセンターにやってくるお客さんの荷物の発送や受け取り、クレーム・ドライバーへの伝達などを含む事務作業員です。

 

他にも主管センターで新人社員の教育係として新たなヤマト人生を歩む社員もいます。

しかし過去の運転技術評価などの絡みもあり全員がなれるとは限りません。

 

私の伯父は「ドライバーがムリだけど内勤なら続けられる」と過労で倒れながらも、センターの受付係として家族のために一生懸命働きました。

 

「受付で働けるなら安泰じゃん」と言う人がいますけど、インセンティブが貰えないので給料ガタ落ちですよ。

出世して受付にまわるのとはわけが違います。

自ら辞める

配達できずに辞めるパターン

「体力の限界」を理由に辞める。

退職はドライバー自信の選択なので、ヤマト運輸から「辞めろ」なんていわれることはありません。

 

しかし、どうしても仕事を続けられない状態なら、潔く辞めたほうが今後の人生のプラスになります。

私の伯父は家族を考えると辞められなかったですし、辞めても他の仕事で食っていけるほどのスキルが無い。

 

だから給料は減るとわかっていても、受付で働き続けるしかありませんでした。

 

どんな働き方をしてたの?

伯父の働き方

過労で倒れる前の伯父はどんな働き方をしていたのか?

当時のヤマト運輸は今のような時間指定が無くて、一見すると「緩い企業」に見えます。

しかし実際は今と変わらないくらいの激務だったと言います。

昼食は毎日「あんパン」だけ

あんぱんを食べながら配達してた

「毎日あんパンかじりながらトラック運転してたのよ」と伯母に教えてもらいました。

 

先ほど書いたとおり、昔は時間指定などありませんでしたからドライバーが在宅時間を見計らって配達するスタイルでした。

ですが、住宅密集地域はどのセンターも人手不足でドライバーにシワ寄せがいっており、伯父も昼食をとる時間すらなくあんパンを食べながら配達していたそうです。

 

その結果の過労です。

帰ったら寝るだけの生活

仕事から帰ったら寝るだけ

「いつも遅く帰って来て寝るだけの生活だった」これも伯母に教えられたことです。

 

昼はあんパンを食べながら配達。

当時は夜間配送のストップ時間なんてあってないようなものだったので夜は遅くまで配達。

遅くまで配達するという事は、センターに戻ってからの事務作業時間が取れなくなって、帰宅時間は深夜になります。

 

私が現役ドライバーだった当時、60代の元ドライバーに聞いた話。

「オレが若い頃は夜中まで配達してて、帰るのはいつも夜中の2時すぎだったんだぞ。しかも次の日は普通に朝から出勤させられてた」

 

丁度、伯父と同じ年代のドライバーでしたから、「おじさんも同じような生活をしていたんだな」と考えるとゾッとしました。

 

仕事中に突然倒れた

配達中に倒れた

あれは1991年の出来事。

「伯父さんが倒れたんだって!」と母は驚いた表情で、学校から帰った私に教えてくれました。

 

トラックから下りて荷台の荷物を整理している最中に突然意識を失って倒れた伯父。

その直後に通りかかった人が救急車を呼んでくれたおかげで病院に搬送されます。

 

ヤマト運輸の制服を着ていたので勤め先もすぐにわかり伯母とも連絡が取れました。

その後はしばらく病院に入院し余命7年と宣告されたのです。

「オレ」がヤマト運輸に入社した理由

私がヤマトに入社した理由

そもそも伯父に「ヤマトだけはやめておけ」と言われた管理人の私が、なぜヤマト運輸に入社したのか?

もちろん最初はヤマト運輸なんて入りたくなかったですけど、当時はそんなこと言ってられませんでした。

やりたいことが無かった

そんなものは無い

ヤマト運輸に入社する以前の私は就職先を探していました。

しかも特別な資格なんて持ってないので転職しようにも書類選考で落とされます。

 

そんな時ネットで見つけたのが『適職診断』でした。

当時は自分なりに出来る事を探したつもりでしたが、なかなか見つからずとりあえず人の役に立つ仕事がしたいという気持ちで診断した結果が「運送業」。

 

更に探していくとヤマト運輸がドライバーを募集していたので応募したわけです。

伯父さんの言葉は忘れない

伯父が残した言葉

「ヤマトはやめとけ」

求人を見た瞬間に伯父の言葉が頭に浮かびました。

 

でも当時は伯父と同じように2人の子供のために働かなきゃいけない状況だったので迷っている余裕などなかったです。

 

その後、私はヤマト運輸の求人に応募してドライバーとなり、伯父の言葉を思い出しながら仕事をしました。

そして自分がヤマトで働いて、「ヤマト運輸に入社するんじゃなかった」と後悔しながら、伯父の言葉を心底理解することになります。

 

今、私と同じく「ヤマト運輸への入社を後悔」しているアナタは、真剣に退職を考えてください。

どんな人だった?

伯父の人柄について

亡くなった伯父がどんな人だったのか?一言でいうと物静かな車好きの伯父さんという印象です。

日産のZが好きだった

日産のZが好きだった

伯父の世代は車好きが多くて、中でも日産のフェアレディZは特別な存在だったといいます。

 

ヤマト運輸を退職して1年後の1992年にガンメタのZを新車で購入。

車の購入に反対だった伯母ですが、「あと何年生きられるか分からないのだから、せめて好きな車を買わせてくれ」と懇願されてOKを出したそうです。

 

私も車が好きなのでZを見るたびに、伯父さんと車の話しで盛り上がったのを思い出します。

親戚はどう見ていたのか?

伯父を見る親戚の目

倒れた伯父を悪くいう人はいないと思ってたんですが、嫌味を言う親戚もいました。

「病人面してんじゃねー!」と怒鳴られた

病人面するなといわれた

「病人だからって働きもしねーで、偉そうに酒なんか飲んでんじゃねー!」

正月でもあまり顔を出さない祖父の家に久々に顔を出した伯父が、親戚から罵声を浴びました。

 

目の前にいた私が驚いていると、今にも怒りが爆発しそうなほど手を震わせ感情を抑えてながら黙っています。

以前あったときと比べて、更に顔は「どす黒く」なってあまり元気もありません。

そのまま静かに立ち上がると「オレは好きで病気になったわけじゃねー」と言い返して玄関を出ていきました。

 

それ以来、伯父は祖父の実家に顔を出していません。

自分が望んで働けない体になったわけじゃない。本当は働きたいのに働き過ぎが原因で病気になったのに、理解してくれない親戚に憤りを感じたのでしょう。

【まとめ】ヤマト運輸だけはやめておけ!

絶対に就職したらダメ

最後にこの記事のまとめです。

【伯父がヤマト運輸はやめとけと言った理由】

  • 過労による闘病生活の末、亡くなったから

クロネコヤマトで働いている時に「私の息子がヤマト運輸の一員になりました」みたいなポスターを良く見かましたけど、アレを見ると虫唾がはしります。

 

だって、親子揃ってヤマト運輸で過労死する可能性があるのに、笑顔の写真を取らせるんですよ。

過労死した後に「どうしてこんな笑顔でポスターに写ってるだろう」なんて家族や親戚が後悔しても遅いです。

 

もしこの記事を見ているアナタが、伯父が倒れた時と同じ20代なら、私は迷わず言います。

ヤマト運輸なんかで大切な人生を棒に振るな」と。

 

過労死するまで働かされるヤマト運輸なんて今すぐ辞めて、もっと楽しい人生が送れる仕事をした方がアナタ自身にとって絶対得です。

 

どうか私の伯父と同じ運命をたどる前に転職してください。

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